トルコ紀行24:概要2025年08月15日

トルコ紀行24:概要
トルコ紀行24
今回のトルコ旅行の概要

6月26日(木) 1日目
15時10分 福岡空港発→上海浦東空港で乗継→トルコのスタンブール空港へ
機中泊

2日目 6月27日(金)
朝8時 イスタンブール空港着
バス移動 サフランボル観光→アンカラへ
アンカラ泊

3日目 6月28日(土)
アンカラ観光→トゥズ湖経由でカッパドキアへ
カッパドキア観光
カッパドキア泊(洞窟ホテル)

4日目 6月29日(日)
カッパドキア観光
カッパドキア泊(洞窟ホテル)

5日目 6月30日(月)
コンヤへバスで移動
コンヤ市内観光
バスでパムッカレへ移動
パムッカレ泊

6日目 7月1日(火)
パムッカレ気球&石灰棚観光
エフェソスへバスで移動
エフェソス遺跡観光
バスでイズミールへ移動
イズミール泊

7日目 7月2日(水)
イズミール発(TK-2313)空路でイスタンブールへ
イスタンブール旧市内観光
イスタンブール泊

8日目 7月3日(木)
イスタンブール・アジア側観光
ボスポラス海峡クルーズ
イスタンブール旧市内観光
イスタンブール泊

9日目 7月4日(金)
イスタンブール散歩
14時 イスタンブール空港発→上海経由で帰国へ
機中泊

10日目   7月5日(土)
上海時間 9時50分 上海、浦東空港発
日本時間 12時55分福岡空港着
解散

長時間、長距離のバス移動がきつかった。
でも、面白かった。

トルコ、意外とおススメです。

ちなみに、写真はイスタンブールのアヤソフィアです。

トルコ紀行23:コンヤ・トラム、この違和感2025年07月31日

トルコ紀行21:この違和感
トルコ紀行23:6月30日の続き

写真は、メヴラーナ博物館前を走るトラム(路面電車)の線路です。
違和感を感じます。

ここ、電車に電気を供給する「架線」が途中で無くなってます。
線路はあるのに、架線は無い。
何故????

ネットで調べてみたら、

2015年にも新たに4.4 kmの区間が延伸し、
同時に2号線の運行も開始したが、
そのうち市内中心部の歴史地区を走る1.8 kmの区間については架線が存在しない架線レス区間となっており、
延伸に際して導入された新型電車については充電池(チタン酸リチウム二次電池)が搭載されている。
(wikiからの転用)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A0

乗ってみたかったなぁ・・・・

19時過ぎにパムッカレのホテルに到着。
ホテルで夕食。
このホテルには温泉プールがあるのだが、プールに入る体力、気力なし。(一応、水着を持参しているけれど)
夕食後にシャワーを浴びて、スーツケースのパッキング。
その後、焼酎を1杯だけ飲んで就寝。
翌朝(7/1)は気球に乗るので、
朝が早い(4時45分ホテル発)から早めの就寝。

この日(6/30)のバス移動
カッパドキアからコンヤへ、230km、3時間
コンヤからパムッカレへ、410km、5時間30分
合計
640km、8時間30分
疲れるはずです。

トルコ紀行22:ムハンマドのあご髭2025年07月30日

ムハマッドの髭
6月30日
昼食後は、コンヤのメヴラーナ博物館を見学。
13世紀末に造られたということだった。
これが意外に面白かった。

イスラム教の一派、メヴレヴィ―教団の創始者、
メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟ということ。
敷地内に、ジャーミィ(モスク)、僧院、修行場もある。

メヴラーナとは、「わが師」という意味。

メヴレヴィ―教団は、1925年に解散させらたけれど、
その後、霊廟が博物館として一般公開されている。

ジャーミィの中には、メヴラーナの棺が置いてあるだけでなく、
ムハンマドのあご髭が入った箱がドームの中央真下に置いてあった。
写真の箱なのだけれど、
「地球の歩き方」や「るるぶ」に掲載されている写真とは、箱のデザインがちょっと違うような気がする。

お祈りを終えたトルコ人の親子に、
「メッカはこっちの方角ですか?」と尋ねたつもりだけれど、
父親には伝わらず、息子が”Can you speak English?”と尋ねてきたので、”A little”と答えた。
”Where are you fom ?”
”Turkey”
”Where in Turkey ?”
”ホニャララ(聞き取れなかった)”
という会話を交わして、
”Have a nice day”
”You too”とお別れした。
少しでも英会話が出来たので、嬉しかった。

敷地内に無料のトイレがあったけれど、
あまりに汚くて、用を足す気になれなかった。
女性用のトイレでは、
鍵が壊れている個室がたくさんだった、ということだった。

有料でもいいから、綺麗なトイレにして欲しいものです。

トルコ紀行21:トルコのピザは四角!2025年07月29日

トルコ紀行21:トルコのピザは四角!
6月30日(月曜日)、出発して5日目。

この日は、カッパドキア気球体験がキャンセルになって、
6時30分朝食、7時30分にホテル発。
コンヤ経由でパムッカレへのバス移動。

途中、9時50分
トイレ休憩を兼ねてスルタンハンのキャラバン・サライ(隊商宿)を見学。
11時45分、昼食
ドライブ・インなのでアルコールは出ない。
ピデというトルコ風のピザを食す。
写真でわかるように、全体は船形だけど、カットすると四角になる。
味は、ピザ。美味しい。

デザートに出てくるスイカが美味しい。
今回のツァーの食事では、スイカのデザートが出てくる頻度が高かった。
どこでもスイカは日本と同じように、甘くて美味しい。

昼食の直後、デジカメのバッテリーが切れた。
失敗!

ホテルでは毎晩充電しなければ・・・

ラクダにキノコ、、、トルコ紀行20:気球は予備日も飛ばない2025年07月26日

ラクダにキノコ、、、トルコ紀行20
6月29日
カーペットハウスの次には、カイマクル地下都市へ。
アリの巣みたいに地下に迷路のような都市がある。
地下都市自体は、紀元前からあるらしい。
迫害されていたキリスト教徒が暮らしていた時期もあるらしい。
とは言っても、
年中地下で暮らしていたわけではなく、敵が攻めてきたときだけ地下に逃げ込んだということだった。
礼拝堂や厨房、食糧庫などもあり、多くの見学者で混雑していた。

その後、昼食。
チキンスープとつぼ焼きケバブ。

食後はトルコ石の店へ。
もちろん買わない。
そして、陶器作業場。
ここでも見るだけで買わない。

買い物ツァーの後、ラクダ岩の撮影ポイント。
写真の左の方にラクダ岩があります。

夕食はホテルに戻って。
同ツァーで名古屋から参加と下呂から参加されているご夫婦と同席で、楽しい夕食になった。
我々も含めて6人中5人が同学年ということがわかって、話が盛り上がった。

夜はオプションのベリーダンスショーへ。
まさかの雨。
(6月、7月のこの季節、例年はほとんど雨が降らないらしい)
予定表では、「2ドリンク付き」だったけれど「フリードリンク」だった。
夕食をもう少しセーブしておけばよかった。
ショーの最後は観客も一緒になってダンスパーティになった。
うまく踊れなくて、残念。

更に残念なことに、気球予備日の翌日も悪天候のため気球は飛ばないことになった。
代わりに、パムッカレで気球に乗ることにした。
代金の差額は払い戻してくれるらしい。

この夜は、さすがに寝酒の焼酎もお休みで就寝した。

トルコ紀行19 残念!気球は飛ばなかった2025年07月24日

トルコ紀行19   三姉妹と亀
6月29日(日)
この日のメインは、早朝、気球でのカッパドキア見学。

3時10分に起床
3時30分にモーニングコールが鳴った。

4時10分ロビーに集合して、送迎のバスで気球乗り場へ向かう。
その途中、運転手に電話がかかってきて、
天候不良のためキャンセルになったとのこと。
翌日(6/30)の予備日に順延。
バスはUターンしてホテルへ戻る。

ホテルに戻ったけれど、朝食は7時から。
まだ時間があるので、日記を書いた。
7時に朝食会場のホテル内のチャーチへ。
大行列だったので、出直すことにした。
部屋で庄野真代の「飛んでイスタンブール」(筒美京平作曲)を聴きながら、日記の続きを書く。

7時35分、再度朝食会場へ。
8時45分出発と思っていたら、8時30分だった。
慌てた。
ユルギュップへ向かう。
3姉妹の岩、亀の岩を見学。
写真の左の3つ岩が3姉妹、右端の岩が亀です。
その後、カーペットハウス見学と買い物。
トルココーヒーをご馳走になった。飲み終えたカップの底に粉がたまっている。
ウール製、コットン、シルクの絨毯、色々な種類がある。
最高級のヘレケ絨毯は、さすがに手触り最高。
一生ものだと言うが、ムチャクチャ高くて見るだけ。

トルコ紀行18 ウユニ塩湖の小型版:トゥズ湖からカッパドキアへ2025年07月23日

トルコ紀行18 ウユニ塩湖の小型版:トゥズ湖
トルコ紀行18

アタテュルク廟の見学を9時50分に終えたら、
バスでカッパドキアへ移動。
その途中に、トイレ休憩を兼ねてトゥズ湖に立ち寄る。

ここは塩の湖。
ボリビアの有名なウユニ塩湖ほどの大きさではないけれど、
我々が訪れた時期は、湖に水はほとんどなく、
足もとの塩の白と空の青のコントラストが美しかった。
写真では、色のコントラストがうまく映っていないのが残念。
こんなところがあるとは、全く知らなかった。
雨で冠水すると、
ウユニ塩湖のように天空の鏡になるそうである。

14時に昼食場所、カッパドキアの洞窟レストランに到着。
町の名前は、ネヴシェヒルという。
鱒のグリルを食す。
ここまでのバス移動は、320km、3時間30分。
疲れる。

食後は、レストランから徒歩で鳩の谷と呼ばれる撮影ポイントに立ち寄ってから、ギョレメ屋外博物館へ。
ここにはキリスト教徒が迫害されていた頃の岩窟教会が30以上あるとのこと。
・暗闇の教会
・ヘビの教会
・サンダルの教会
・リンゴの教会
・台所と食堂
などを見学した。

洞窟教会内は写真撮影不可だったので、写真はない。
残念。

18時00分にホテルに到着。
洞窟ホテル「エクセドラ・ホテル・カッパドキア」416号室
ロビーから迷路のように階段を下りて行って、地下4階の部屋に着いた。400番台の部屋は、地下4階なのだ。
我等の部屋は狭かった。
バスタブがなく、シャワーだけ。
テーブルや椅子もなく、せっかくここに2連泊するのに、スーツケースを広げる場所がなくて不便だった。

19時にホテルのレストランで夕食。
メインはパスタだったけれど、半分しか食べられなかった。

シャワーを浴びて、
純米焼酎「しろ」のお湯割りを2杯飲み終わって寝ようと思っていたら、
火災報知器が2度発報。
ホテルのどこかの部屋の故障した冷蔵庫の修理業者のミスだったらしい。
誤報で良かった。

アタテュルク廟 トルコ紀行172025年07月22日

アタテュルク廟  トルコ紀行17
アスランハネ・ジャーミーの次には、アタテュルク廟へ。
ここは、トルコ共和国の父、ムスタファ・ケマルの霊廟です。

第1次世界大戦後にオスマン帝国を倒し、
1923年にトルコ共和国を成立させたのがムスタファ・ケマルで、
そのケマルを埋葬してるのがここです。
日本における明治維新みたいなことがあった、という風に理解しました。
アラビア文字をやめて、アルファベットにしたのもケマルだと現地ガイドのグルさんから教えてもらいました。
おかげで識字率が上昇したとも言っていました。

6月28日(土曜日)で、トルコの学校は夏休みに入ったそうで、
9時開場のアタテュルク廟入口に8時50分に着いたけれど、
既に行列ができていました。
ムスタファ・ケマルは人気があるようです。
明治維新の立役者だと思えば、人気が高いのも納得です。

とにかく広かった。
墓が収められている建物を取り囲む回廊は、博物館になっていて、
解説の文字を読んでいる時間はなかったけれど、面白かったです。

ライオン・ロードという参道があったけれど、そこは見学する時間がありませんでした。

首都アンカラには「アナトリア文明博物館」という面白そうなのがあるのだけれど、そこは行程に入っていませんでした。
パッケージツァーなので、仕方ないのだけれど、残念。
その博物館には、
エジプトのラムセス2世の妃からヒッタイト王妃ププヘパに送られた手紙(もちろん石製)などが展示されているそうです。
紀元前1300年から1200年ころのものです。
エジプトとトルコは意外と近くて、親交もあったということを今回の旅行で知りました。

トルコ紀行16 アスランハネ・ジャーミーの続き2025年07月17日

トルコ紀行16 アスランハネ・ジャーミーの続き
トルコ紀行16は、アスランハネ・ジャーミーのおまけ

写真のものは、そこの壁にありました。
2025年6月28日
8時25分
気温28℃
と表示されています。

下半分には、
各地の現在時刻が表示されているのでしょうけれど、
何所のことなのか?わかりません。

ちなみに、
モスクは、東京の渋谷区大山町1-19(代々木上原)に、
”東京ジャーミィ”というのがあるそうです。
https://tokyocamii.org/ja/
次に東京に行くことがあったら立ち寄ってみようかと思います。

木造モスクのアスランハネ・ジャーミー トルコ紀行152025年07月16日

木造モスクのアスランハネ・ジャーミー トルコ紀行15
トルコ旅行の3日目、6月28日(土曜日)は、
朝イチで木造モスクのアスランハネ・ジャーミーへ。

ジャーミーとは、モスクのこと。

このモスクは、アナトリア半島(トルコが位置している)で
もっとも古い木造のモスクだそうです。

モスクは土足厳禁で靴を脱いで、各自の靴袋に入れての見学でした。
床には絨毯が敷いてありました。
女性はスカーフが必要。

写真は、メッカの方角を向いていて、
右にはアラビア文字で”アラーの神”
左には”ムハマッド”と書いてあるのだそうです。
それは、どこのモスクでも同じ、とガイドさんが説明してくれました。

朝早くの時間でもあり、他の観光客は誰もいなくて、
我々の団体だけで、ゆっくりと見学することが出来ました。