今日からCS ― 2011年11月03日
いよいよ今日(11/3)から
クライマックス・シリーズのファイナルステージが始まります。
http://www.softbankhawks.co.jp/expansion/special/2011/lastspurt/index.php
ホークスvsライオンズ。
和田vs帆足。
今年こそ、CS突破し、日本一になるんダ!
今から応援に行って来ます。
クライマックス・シリーズのファイナルステージが始まります。
http://www.softbankhawks.co.jp/expansion/special/2011/lastspurt/index.php
ホークスvsライオンズ。
和田vs帆足。
今年こそ、CS突破し、日本一になるんダ!
今から応援に行って来ます。
勝ちました ― 2011年11月04日
あと一つ ― 2011年11月05日
やったぞ!CS突破 ― 2011年11月06日
今月の第1号 ― 2011年11月07日
少年Mのイムジン河 ― 2011年11月08日
「少年Mのイムジン河」
松山 猛 著 木楽舎 1,000円(952円+税)
著者の松山猛は、
フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」を作詞した人だそうです。
「イムジン河」という曲は、
「帰ってきたヨッパライ」に続くシングル第2弾として発売予定だったが、
発売前にラジオで同曲を流したところ、レコード会社が突然、発売中止を決めたそうです。
著者が中学生のときに「イムジン河」の原曲を知った。
そしてその頃は、ベトナム戦争の真っ最中だった。
p.34
中学生の僕には、直接できることがないのでしょうか。
人と人のあいだには、渡ることのできない「イムジン河」が
数え切れないほどあるのだと考えました。
p.65
長いあとがきのなかで、
朝鮮半島の軍事境界線を実際に見に行った著者が、こう言う。
「「イムジン河」は、まだ終わっていない物語だったんだね。
ここまで連れてきてくれてありがとう。考えなきゃいけないことで頭がいっぱいだよ。」
「イムジン河」が発売中止になって、もう四半世紀のときが流れていた。
でも結局のところ、半島の状況は何も本質的には変わってはいないのだ。
p.67
世界ではソビエト連邦が崩壊し、東西ドイツのあいだのベルリンの壁が壊れ、
ドイツが統一を果たしたりと、冷戦の時代が終わったにもかかわらず、
我々の国日本にもっとも地理的に近い朝鮮半島は分断されたままであること。
・・・東アジアに残された、さまざまな現実を、次の世代に気付いてもらわなければならない・・・
p.69
世界は絶えず混乱し、不信に満ちている。
我々の時代に、解決すべきは解決の努力をしてみよう。
そしてそれでも時間が足りないのなら、
せめてその夢を子供たちと、その未来の子供たちに託そうじゃないか。
「イムジン河」
松山 猛 訳詞、 朴世永 原詩、 高宗漢 作曲
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る
松山 猛 著 木楽舎 1,000円(952円+税)
著者の松山猛は、
フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」を作詞した人だそうです。
「イムジン河」という曲は、
「帰ってきたヨッパライ」に続くシングル第2弾として発売予定だったが、
発売前にラジオで同曲を流したところ、レコード会社が突然、発売中止を決めたそうです。
著者が中学生のときに「イムジン河」の原曲を知った。
そしてその頃は、ベトナム戦争の真っ最中だった。
p.34
中学生の僕には、直接できることがないのでしょうか。
人と人のあいだには、渡ることのできない「イムジン河」が
数え切れないほどあるのだと考えました。
p.65
長いあとがきのなかで、
朝鮮半島の軍事境界線を実際に見に行った著者が、こう言う。
「「イムジン河」は、まだ終わっていない物語だったんだね。
ここまで連れてきてくれてありがとう。考えなきゃいけないことで頭がいっぱいだよ。」
「イムジン河」が発売中止になって、もう四半世紀のときが流れていた。
でも結局のところ、半島の状況は何も本質的には変わってはいないのだ。
p.67
世界ではソビエト連邦が崩壊し、東西ドイツのあいだのベルリンの壁が壊れ、
ドイツが統一を果たしたりと、冷戦の時代が終わったにもかかわらず、
我々の国日本にもっとも地理的に近い朝鮮半島は分断されたままであること。
・・・東アジアに残された、さまざまな現実を、次の世代に気付いてもらわなければならない・・・
p.69
世界は絶えず混乱し、不信に満ちている。
我々の時代に、解決すべきは解決の努力をしてみよう。
そしてそれでも時間が足りないのなら、
せめてその夢を子供たちと、その未来の子供たちに託そうじゃないか。
「イムジン河」
松山 猛 訳詞、 朴世永 原詩、 高宗漢 作曲
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る
いよいよ待望の日本シリーズ ― 2011年11月11日
残念 ― 2011年11月12日
アビスパ福岡のTシャツ当選 ― 2011年11月18日
プロジェクト・ノリカ ― 2011年11月19日
「プロジェクト・ノリカ」 世界初への挑戦! 超小型カプセル内視鏡開発物語
丸山 次郎 著 徳間書店 1,500円
今年の47冊目。
著者の丸山次郎は、長野県にある「アールエフ」という会社の社長です。
坂本 光司 著 あさ出版
「日本でいちばん大切にしたい会社 2」に出てきた会社です。
http://mansion.asablo.jp/blog/2011/10/25/6170097
ノリカという超小型カプセル型内視鏡をを開発しています。
p.124
朝令暮改のススメ
うちの場合は、午前中に何か話しても、午後にはぜんぜん違うことを言い出す。
朝令暮改はむしろこの会社ではいいことなんですね。
午前中はそう判断をしていたけれど、午後二時半頃にこういう話が入りましたので変えましたとなる。
明日もっといい話が来れば何かやってるかもしれないし、それでいいんじゃないかとなと思っています。
p.126
うちの主要なメンバーはプラス志向です。
どうしてかというと、目の前に現れてきたことを一所懸命解決しようとしているので、へこんでいる暇がない。
p.129
二十代は、人生の中で大切な時期。
二十代をいい加減に過ごしてしまうと後でつらい。それに後から気がついて悔しい思いをする。
だから、親心的な意味も含めて、つらいけれどやらせる。試練を与えるのが上の世代の義務である。
あいつ悩んでいるなって遠目では見ていても、もう少し我慢してやらせてみると結構、難関を突破していく。
もちろん本当に倒れちゃったらヤバイから、もしかのときには飛んでいってフォローしてやらないといけない。
p.132
技術系の教科書は、ある意味で非常に長い歴史の中において、いろんな先生方や大先輩が書いたり、もしくは教えてくれたものをまとめたもの。
我々技術屋を育ててくれたのは、大先輩たちです。
その人たちへの恩返しは、直接はできない。
後輩に恩返ししていくことしかできない。同じ人には返せない。
執行役常務取締役、小林良充の話
p.171
25歳の若き常務誕生
常務なったときは「明日からどうしよう」と思った。
しかし社長は「今のおまえじゃなくて、もっと先のおまえに期待しているんだから」と言ってくれる。
それを聞いて将来の可能性にかけて、今から責任感を持たせるためにこの重大なポジションをやらせてくれているんだと気づいた。
で、その期待に応えようと、今度こそ中途半端に諦めたり、自分自身を自分から見限ってしまうことはやめようと考え直しました。
あとがき
我々は幸せに生きていかねばならない。
ししてすべての技術はそのためにのみ発展すべきものである。
結局、最も大切となるのは技術ではなく、それを操る人間であるのだ。
人々を幸せにする、そんな技術や技術者、起業家が一人でも増えるように、これからも何かできればと願っている。
以上、この項、終わり。
丸山 次郎 著 徳間書店 1,500円
今年の47冊目。
著者の丸山次郎は、長野県にある「アールエフ」という会社の社長です。
坂本 光司 著 あさ出版
「日本でいちばん大切にしたい会社 2」に出てきた会社です。
http://mansion.asablo.jp/blog/2011/10/25/6170097
ノリカという超小型カプセル型内視鏡をを開発しています。
p.124
朝令暮改のススメ
うちの場合は、午前中に何か話しても、午後にはぜんぜん違うことを言い出す。
朝令暮改はむしろこの会社ではいいことなんですね。
午前中はそう判断をしていたけれど、午後二時半頃にこういう話が入りましたので変えましたとなる。
明日もっといい話が来れば何かやってるかもしれないし、それでいいんじゃないかとなと思っています。
p.126
うちの主要なメンバーはプラス志向です。
どうしてかというと、目の前に現れてきたことを一所懸命解決しようとしているので、へこんでいる暇がない。
p.129
二十代は、人生の中で大切な時期。
二十代をいい加減に過ごしてしまうと後でつらい。それに後から気がついて悔しい思いをする。
だから、親心的な意味も含めて、つらいけれどやらせる。試練を与えるのが上の世代の義務である。
あいつ悩んでいるなって遠目では見ていても、もう少し我慢してやらせてみると結構、難関を突破していく。
もちろん本当に倒れちゃったらヤバイから、もしかのときには飛んでいってフォローしてやらないといけない。
p.132
技術系の教科書は、ある意味で非常に長い歴史の中において、いろんな先生方や大先輩が書いたり、もしくは教えてくれたものをまとめたもの。
我々技術屋を育ててくれたのは、大先輩たちです。
その人たちへの恩返しは、直接はできない。
後輩に恩返ししていくことしかできない。同じ人には返せない。
執行役常務取締役、小林良充の話
p.171
25歳の若き常務誕生
常務なったときは「明日からどうしよう」と思った。
しかし社長は「今のおまえじゃなくて、もっと先のおまえに期待しているんだから」と言ってくれる。
それを聞いて将来の可能性にかけて、今から責任感を持たせるためにこの重大なポジションをやらせてくれているんだと気づいた。
で、その期待に応えようと、今度こそ中途半端に諦めたり、自分自身を自分から見限ってしまうことはやめようと考え直しました。
あとがき
我々は幸せに生きていかねばならない。
ししてすべての技術はそのためにのみ発展すべきものである。
結局、最も大切となるのは技術ではなく、それを操る人間であるのだ。
人々を幸せにする、そんな技術や技術者、起業家が一人でも増えるように、これからも何かできればと願っている。
以上、この項、終わり。
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