ここ―食卓から始まる生教育(その2)2011年07月14日

ここ―食卓から始まる生教育
「ここ―食卓から始まる生教育」
内田 美智子、佐藤 剛史 著     西日本新聞社 1,429円

続きです。

p.43
大事なときに自己判断がきちんとできるのは、「生まれてきてよかった」と思える子どもたちです。
そして「誰かに愛されている」と実感できる子どもたちなのです。
そしてそれらは、日々の暮らしの中でしか実感できません。

p.64
私は、お母さんの胸に最初に赤ちゃんを抱かせたときに言います。
「手のかからない子」にこそ手をかけて欲しい。
泣かない、わがままも言わない子を、いい子だと思わないでください。
いつも間にか、子どもたちあは声を立てずに泣くようになります。
人知れず、お母さんにもわからないように声を殺して泣きます。
それが成長の証です。そんな日が、きっとやってくるのです。
声を出して泣けるうちは、たくさん泣かせてあげてください。お母さんの胸で思いっきりなくわが子をほめて、抱きしめてください。

p.65
子どもは一人で、優しい子、明るい子、賢い子、人の痛みのわかる子に育つわけではありません。
親が葬育てるのです。その子に関わっている大人がそう育てるのです。
「抱っこして、辛いよ、寂しいよ、そばにいて!」と訴える子どもに、手を差し伸べ、抱っこし、寄り添う親がいて、はじめてその子どもは、心地よさや安心感を覚えるのです。
そうやって育った子が、将来、隣の席で泣いているお友達に「どうしたの?」って声をかけられる、優しい、人の心の痛みのわかる子に育ちます。
泣いても、抱っこしてもらえず、声もかけてもらえない子は、心地よさや安心感を感じることはありません。
その喜びを知りません。
そんな子が、どうして優しい子に育つことができるでしょう。
人は、見たこと、聞いたこと、経験したことしかできません。
子どもは一人で育つわけではありません。
子どもは育てたように育ちます。

p.69
わが子を一心に見つめて授乳するお母さん。
授乳、食事は何を与えるかだけでなく、どのように与えるかも大切だということです。
子どもは、お乳と一緒に愛を食べて大きくなっていきます。
授乳の風景は大切です。
食事風景、食卓の風景も同じように大切です。

p.83
子どもたちにとって愛されること、食べることがどんなに大事であるか。
思春期の子どもたちが起こす問題は、思春期に起こることではなく乳幼児から始まっている。
思春期にサインを出すだけである。
大人がすべきことは一つ。
子どもたちが生きるための権利「食べて、寝て、遊んで、愛されること」を保障すること。
食べて、寝て、遊んで、愛されることは最低限の権利です。

この項、更に続く。

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